私が長野県山ノ内町にUターンした理由 — 若者が地元で働く選択肢を増やすために —
youthful days の創業メンバーで取締役の畔上です。私たち youthful days は、長野県山ノ内町を拠点に「デジタルテクノロジーと農業」に取り組む会社です。長野県山ノ内町は、私の生まれ育った故郷でもあります。
この文章では、私たちが地元に戻り、事業として山ノ内町を選んだ背景と、拠点を移してから2年が経った今の正直な状況についてお伝えします。
都会でエンジニアとして働くことに大きな不満があったわけではありません。それでも「このままでいいのだろうか」という違和感がありました。もし、同じような感覚を抱きながら働いている人がいるなら、田舎に戻ってエンジニアや農業に取り組んでいる会社・人間もいるということを知ってもらえたら嬉しいです。
山ノ内町で育ち、中学卒業と同時に町を出た
私は山ノ内町で生まれ育ち、中学校卒業までの15年間をこの町で過ごしました。当時打ち込んでいたサッカーをきっかけに、中学卒業と同時に親元を離れ、茨城県水戸市の高校へ進学しました。その後は大学を経て、社会人になってから28歳の冬まで、長野県外で暮らしていました。
山ノ内町は文字通り「山の内側」にあるような町です。長野県自体も山々に囲まれているため、子どもの頃はどの方角を見ても山がある景色が当たり前でした。そんな場所から関東平野の茨城県へ移ったとき、山の見えない開けた景色に、新鮮さと同時に違和感を覚えたことを今でもよく覚えています。高校進学をきっかけに、山ノ内町は「住む場所」から「帰ってくる場所」へと変わりました。この頃から少しずつ、地元の見え方・感じ方が変わっていったように思います。
社会人になってから築いたエンジニアとしてのキャリア
高校・大学時代はサッカーに打ち込み、社会人になってからはシステムエンジニアとしてキャリアをスタートしました。最初は製造業における基幹システムの保守運用から始まり、徐々に開発案件にも関わるようになっていきました。このような情報技術の領域に対して、学生時代は専門的な勉強をしておらず、社会人になって初めて学ぶ領域でした。それでも、入社直後に受けたプログラミングの基礎研修で、「めちゃくちゃ面白い」と感じたことを覚えています。当時は何もかもが新鮮で、わからないことばかりであることさえも含めて楽しく感じていました。学生時代の友人たちとはかなり違う道に進みましたが、結果的に自分に合った選択ができたのだと思います。
そして、社会人4年目の後半あたりで、転職をきっかけにデータエンジニアへキャリアシフトしました。この頃は自分の意思でプロジェクトを探して参画し、参画後は信頼を得ることを意識して仕事を進めました。技術面でも、個人で切り開くような働き方の面でも、新たな挑戦ができたことは、自分にとって大きな転機だったと思います。また、データエンジニアとして働いて実感したのは、カバーすべき技術領域の広さです。振り返ると、一つひとつを深く極めていたわけではありませんが、仕事だけでなくプライベートも含めて、興味本位で幅広い領域に手を伸ばしてきた経験が、結果として良い形で生きたと感じています。
Uターンを考えていなかった自分が、戻る選択をした背景
ここまで述べたとおり、高校・大学・社会人と、長い間、山ノ内町を離れて暮らしていました。進学や就職といった節目はありましたが、当時はUターンして地元に戻ることを考えてはいませんでした。ただ、都会で働き続ける選択をしながらも、心の奥には「いつかは地元に戻りたい」という、うっすらとした気持ちがあったように思います。
そんな中、世の中がコロナ禍に入り、リモートワークが一般的になっていきました。働き方が大きく変わるなか、大学時代からの友人である代表の佐藤とともに、youthful daysを立ち上げました。当初は、互いにフリーランスの延長のような形で働く会社でしたが、その後、「エンジニアワーク以外の領域にも挑戦したい」という思いが一致し、新たな取り組みを模索し始めました。
そこで私たちは農業に着目し、2023年12月頃、私の地元である山ノ内町へ拠点を移すことにしました。現在はオフィスを構えていますが、当初は私の実家を拠点に活動していました。私にとって「都会から地元に戻る」ことは、ハードルが低いものではありませんでした。それでも、一緒に挑戦してくれる仲間がいて、受け入れてくれた家族がいたからこそ、踏み出せた決断だったと思います。
山ノ内町を拠点に事業を始めるという選択
山ノ内町で事業を始めた理由は、高尚な使命感があったからではありません。先述の通り、山ノ内町で事業を行う決断に至った動機のひとつは、エンジニア以外の領域である農業にも挑戦してみたかったからです。その気持ちは、今思うと「興味が半分、危機感が半分」だったように感じます。単純に、農業がどんな世界なのかを知りたい。そして、これまで培ってきたエンジニアとしてのスキルをそこで活かせるのかを試してみたい、というような興味がありました。同時に、今後AIなどが普及していく中で、エンジニアワークだけに偏ることへの危機感もありました。
そうした動機で山ノ内に戻ってきて、改めて実感したのが、若者の働く選択肢や受け皿が限られていること、そして中山間地域における農業の担い手不足という課題です。最初から高い志や課題意識を持って帰ってきたわけではありませんが、それでも、自分たちが山ノ内町で事業を軌道に乗せられれば、こうした課題に対して少しでも意味のある取り組みになるのではないかと考えるようになりました。
拠点を移してからの2年の現状
2023年12月に山ノ内町へ拠点を移してから、2026年4月現在で2年以上が経ちました。その間、町の中で多くの方と出会い、想像以上に温かく迎えていただいていると感じています。この2年あまりで、会社として基盤が整ってきた部分もあります。農業やそば打ちなど、できることも少しずつ増えてきました。一方で、中山間地域で農業に取り組む大変さも実感しています。 若者が働ける受け皿となるための組織づくりや事業拡大には、まだまだ課題が山積みです。
山ノ内町は自然が豊かで、温泉もたくさんあり、冬はスキー場にもすぐ行けます。車は必要ですが、隣の中野市まで行けば生活に必要なものは揃います。都会での生活が向いている人もいれば、地方や田舎での生活が向いている人もいて、私自身は、たぶん後者でした。同じようなタイプの人にとって、山ノ内町は暮らす場所・働く場所の選択肢となるポテンシャルが十分にあると私は感じています。その受け皿になれるように、会社としての課題はたくさんありますが、引き続き地道に取り組んでいこうと思います。
まとめ
ここまで、私が地元・山ノ内町にUターンし、事業を立ち上げるに至った経緯をご紹介してきました。結局のところ、地方で暮らすか都会で暮らすかはは「人による!」それに尽きると思います。
もし今、都市部で働き続けることに違和感を覚えていたり、地方での暮らしに何となく魅力を感じていたりするのであれば、こんなことをしている会社があることを、知ってもらえたら嬉しいです。
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